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2007年10月01日

ロシアについて

ロシア連邦(ロシアれんぽう、Росси?йская Федера?ция、 Rossiyskaya Federatsiya )、別称ロシア(ロシア語:Росси?я /rossija/)は、ヨーロッパとアジアにまたがる世界最大の領土を持つ連邦制の共和国。ロシア連邦およびロシアは双方とも正式名称である。首都はモスクワ。

北西から順にノルウェー、フィンランド、エストニア、ラトビア、ベラルーシ、リトアニア、ポーランド(ポーランドとの国境はバルト海とリトアニアに囲まれた飛び地領であるカリーニングラード州である)、ウクライナ、グルジア、アゼルバイジャン、カザフスタン、中華人民共和国、モンゴル、朝鮮民主主義人民共和国、日本、アメリカ合衆国と国境を接し、北は北極海、東は太平洋に囲まれる。

日本とは領海を隔てた隣国で、日本との間には国境が不確定な部分が有るため正確な数値は出せないが、北方領土他を除く日本の最北端である北海道稚内市の宗谷岬とサハリン州のサハリン島(樺太島)南端の距離は43kmであり、日本の領土からみて最も近くにある国である(ただし、サハリンの南半分については、日本政府は「国際法上は所属未定地」との立場を取っている)。 また、実効支配という観点から見ると、北海道根室市の納沙布岬と、日本が領有権を主張しているがロシアが実効支配している、いわゆる北方領土の貝殻島との距離はわずか3.7kmしかない。

ロシア連邦
Российская Федерация

(国旗) 国章

国の標語 : なし 国歌 : ロシア連邦国歌 公用語 ロシア語1
首都 モスクワ
最大の都市 モスクワ
大統領 ウラジーミル・プーチン
首相 ヴィクトル・ズブコフ
面積
- 総計
- 水面積率 世界第1位
17,075,200km?
0.5%
人口
- 総計(2005年)
- 人口密度 世界第7位
142,893,540人
8人/km?
GDP(自国通貨表示)
- 合計(2005年)
20兆9,439億ロシア・ルーブル(A$)
GDP(MER)
- 合計(2005年) 世界第10位
7,554億ドル
GDP(PPP)
- 合計(2005年)
- 1人当り 世界第10位
1兆5,890億ドル
11,100ドル
独立
- 主権宣言
- 完全独立 ソビエト連邦解体による
1990年6月12日
1991年12月26日
通貨 ロシア・ルーブル(A$)(RUB)

国名
正式名称は、Российская Федерация( Rossíjskaja Federácija; ラスィースカヤ・フィジラーツィヤ)。略称РФ。通称、Россия( Rossíja; ラシーヤ)。

キリル文字のラテン文字転写、ロシア語のカタカナ表記にはいずれも多数の方式、表記があり、ここにあげたものは一例である(本記事の以下の転写も同じ)。

日本語表記は、ロシア連邦。通称ロシア(まれにロシヤとも。また旧ロシア帝国を個別に指す場合は「帝政ロシア」とも)。日本語の漢字表記は露西亜で、略称は露(現在は旧ロシア帝国と区別するためロとも示される事もある)。江戸時代にはをろしやと呼ばれていた。また、19世紀の江戸時代から明治時代にかけては魯西亜という表記もなされ、1855年に両国間で初めて結ばれた条約は「日本国魯西亜国通好条約」という名称になった。

ロシアの国名は、現在のロシア北西部とウクライナ、ベラルーシにあたるルーシという地域をギリシア語の発音によって生まれた名前である。この名は、ルーシの北東の辺境地に起こったモスクワ大公国が周辺の地域を統合し、“ルーシの遺産の争い”をめぐってリトアニア大公国と対立していた16世紀のイヴァン4世(雷帝)の頃に使われ始め、18世紀初頭のピョートル1世(大帝)がロシア皇帝と称したことにより正式の国名となった。

ロシア帝国期以前は、ルーシのギリシア語風名称としてのロシアという語はかつてのルーシ全域を指し、ロシア北西部を「大ロシア」(大ルーシ)、西ウクライナや中部ウクライナを「小ロシア」(小ルーシ、「ルーシの中心地」という意味)と呼んだ。また、ベラルーシも「白ロシア」(白ルーシ)と意味の地方名である。しかし、小国の乱立したルーシ地域では早くからウクライナやベラルーシの人々とロシアの人々との間には異なった民族意識が醸成されていった。結果、これらの国々はロシア帝国の崩壊後別々の国家として独立し、再統合されたソ連邦下でも別々の共和国とされ、ソ連邦の解体に際しては別々に独立することとなった。


歴史
詳細はロシアの歴史を参照


ロマノフ朝以前
ロシアとウクライナ・ベラルーシの原型である中世のルーシ地域は、862年にノルマン人リューリクがノヴゴロドの公となり、その一族が東スラヴ人の居住地域に支配を広げていく過程で形成されたと年代記に記録される。当初のルーシの中心は、現在はウクライナの首都であるキエフであり、現在のロシアの中心である北東ルーシはむしろ辺境で、モスクワの街もまだ歴史には登場していなかった。支配者層を含めてスラヴ化したキエフ大公国は、9世紀に東ローマ帝国(ビザンツ帝国)から東方正教会派のキリスト教とギリシャ=ビザンツ文化を受容し、独特の文化を育んだが、13世紀初頭にモンゴルによって征服され、キプチャク・ハン国の支配下に入った。

数多くいるルーシ諸公のひとりに過ぎなかったモスクワ公は、モンゴル支配下でルーシ諸公がハンに納める貢納を取りまとめる役を請け負うことで次第に実力をつけ、15世紀にキプチャク・ハン国の支配を実質的に脱してルーシの統一を押し進めた。モスクワ大公はイヴァン3世のときツァーリ(皇帝)の称号を名乗り、その支配領域はロシア帝国へと発展してゆく。ただし、国内の生産力は低く、西欧諸国からは異質の存在と見られていた。16世紀にイヴァン4世(雷帝)が近代化と皇帝集権化、シベリア進出などの領土拡大を進めたが、彼の死後は大貴族の抗争で国内が大混乱に陥り、ポーランドによるモスクワ占領まで起こった。

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